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人はなぜ懐かしがるのか?

時折、「レトロ」ブームなどが起きることがありますが、別にブームでなくとも、「懐かしさ」を味わうのは人の基本的な欲求の1つではないかと思えます。
人は懐かしいものに出会うと、思わず感嘆の声を上げたり、時には涙がこみ上げてきたり、あるいは胸がキュンとなったりするものです。
懐かしさをいやがる人に会ったことはありません。

 さて、人はどうして懐かしがるのか というのが今回の話のテーマです。
懐かしい という言葉の元は何だがご存じですか?
それは 懐く(なつく) という言葉 そう(ペットなどが)「よくなついてるネ」という、あの「懐く」です。
そして そのさらに元の言葉は 馴れ着く(なれつく)から来ています。
よく馴染んで、密着しているということです。

つまり「懐かしい」というのは 愛着を改めて感じる時の気持ちです。
私も還暦を過ぎて「懐かしのフォーク!」(分かる人にだけ分かる)などというタイトルの番組があったりすると、「どれどれ・・」などと、ついチャンネルを合わせてみたりしてしまうのですが。

昭和の時代の風物の展示館が作られたり、レトロなものが高値で取引されたりしますが、うっかりゴミに出し忘れたものが、何十年も経つと価値が出て来るというのは面白いものです。

「懐かしい」ものに出会ったときの、何となく嬉しい感じは、当時はそれが当たりまえ過ぎて、何の感慨もなくなってしまっていたのに、時を経て、思いがけなく出くわすと、「やっぱり私のお気に入り」なのを改めて実感し、愛着という暖かい気持ちが新鮮なものとしてわき起こるからなのでしょう。



さて、このサイトをご覧になっている方はクリスチャンを自認する方が少なくないかも知れませんが、いわゆる「忠節」と言う言葉のニュアンスも、(私の勝手な感覚ですが)単なる律儀な忠実と言うより、この「愛着心」と同じようなものではないかと思います。

神も「愛着」を感じられるようです。と言うより、この特質も神の特質の中の1つの見逃せない素晴らしい特質と言えるでしょう。

「…ただあなたの父祖たちにエホバは愛着を抱いてこれを愛され,そのためにその後の子孫であるあなた方をすべての民の中から選んで,今日見るとおりにされた。」(申命記 10:15 新世界訳)

「…心引かれて彼らを愛し…」(新共同訳)
「…恋い慕って、彼らを愛された…」(新改訳)
「…喜び愛し…」(口語訳)

「…あなたたちは生まれた時から負われ/胎を出た時から担われてきた。
同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」(イザヤ 46:3‐4)


人を置くために地球を造り、整え、動植物を創造して、完璧な環境を準備しつつ、そこに住まうことになる「ひと」とのコミュニケーションなどを想像しつつ、人間を設計しておられた間の神の「楽しみ~」と「期待感」を私は時々考えます。
自分の像に似せて造られた「人」に対する父としての愛着はいかばりだったことでしょう。

子を持つ親なら、「どんな子が産まれて来るんだろう」という期待感を誰でも持つと思いますが、恐らくそれ以上の期待が創造者にはあったのであろうと想像します。
「我が子」という、全ての人間の中で、自分の遺伝子を受け継いで存在している(自分の像に似せて造られた)人間を見るのは、実に不思議な感覚です。

日本語は語彙が豊富なので、「愛着」という意味のことばには、別の似通った、あるいは、さらに明確なと言える言葉もあります。
それは 「いとおしい 愛おしい」という表現です。
これも 元々は 「いと おしい」 (とても惜しい)もし手放したとしたらこれ以上惜しいものはない。と言うような感じでしょうか。
人は懐かしさを感じるとき、この 「いとおしさ」を覚えるようなんですね。

この話のテーマでしたが、「人はなぜ懐かしがるのか?」
人は懐かしい目に遭うと、普段気にも留めないようなことが、いかに「 いと おしい 」ものかを改めて感じたり、あるいはまた、人は愛着とか、いとおしさを感じると、寛大で優しい気持ちになり、気持ちをほぐす、つまり人の心を癒す効果があるということらしいです。
そういう訳で、人は時々、懐かしい目に出くわすのは良いことなのです。



さて、「いと おしい」で思い出しましたが、「もったいない」という言葉もありますね。
以前、この「もったい」っていったい何なんだろう と思って調べたことがあるんですが、これ、以外なんですよ。
「もったい」は漢字で書くと「勿体」って書くんですが。そもそもは「物体」て書いていました。(ぶったいと読まずにもったいと読みます)意味は 本体とか本質という意味です。

「勿体ない」とは:
その物の本体、価値を無視していたり、軽々しく扱っていて惜しいと感じる。本来のもったいを亡きものようにしているので 勿体ない というんですね。


ところで、身近なものの中で、何がもったいないといって「時間」ほど勿体ない物はないと思いませんか。
過ぎてゆく時は2度と再び取り戻せない ということはよーく分かってる割には普段あまりもったいながらない。
人生のどの時期の「時間」も、一様にそれぞれに貴重ですが、「青春は二度と戻らない」というセリフもあるくらい、若い時代を無用に過ごしてしまうのは確かに「もったいない」ことです。
しかし、ほとんどの人は、その時には、無用に過ごしているとは思っていないことが多いようです。
ここが知恵の関係してくるところです。(読者は識別力を働かせなさい)

「というのは,無規律な者,無益なことを語る者,そして人の思いを欺く者,特に,割礼[1914年]を堅く守る者たちが多くいるからです。こうした者たちの口を封じることが必要です。まさにこうした者たちが,不正な利得のために教えるべきでないことを教えて,家族全体を覆してゆくからです。」(テトス 1:10‐11(一語訂正))

若い人は、今の自分が費やしている「時」の真実の有用性について、そして親は、この子が打ち込んでいる物事の真の有用性について、改めて真剣に見つめ直して見るべき理由があると思います。
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