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神の願いと至上命令


神は、アダムの父であり、私たちはその子孫です。
イエスは、「祈り方」に関して、神を「父」と呼びかけるようにと教えられました。
クリスチャンは、神の霊の導きに呼応して、心が「アバ!父よ」と叫ぶと記されています。
「アバ」というのは幼児語で、訳せば「お父ちゃん」という意味です。

父である神が、子である人間を産み出されたのは、仕事を言いつけて働かせるためではありません。
ただ恐れかしこまって、ご機嫌を損なわないようにしている生き物を願われた訳でもありません。
ただ、「人」が自分の存在を歓び、父とのコミュニケーションに幸せを感じることを願って、地上に生み出されました。
自分の子供が、自分が生まれてきたことを喜んでおらず、親にいつも引け目を感じているのを、見なければならないとしたら、親として、こんなに悲しいことはないでしょう。 また、これ以上の親不幸なことはないでしょう。
同様に人が自分の存在を嘆き、幸せを満喫していないなら、人を生み出された神にとって、こんなに情けないことはないでしょう。最大の親孝行は、つまり神孝行は「命を歓び、幸せを噛みしめている」事に他なりません。
まして「クリスチャン」であるなら、伝道や、集会などではない、これこそが、必要不可欠なものです。
「幸福な神」「幸せな父」を崇拝する、幸福な人のことを「クリスチャン」と呼びます。

そうであればこそ、神は人を生み出した甲斐があるというものです。そうであればこそ、何千年もの長い年月、疎まれ、「神はひどい」と言う糾弾を忍びつつ、み子を犠牲にし、贖いを備え、人類救済のために着々と事を運ぶと言う、神にとっても苦労のしがいがあるというものです。
父の願いと至上命令は「幸せでいなさい」ということです。

「あなたがわたしの命令に耳を傾けさえすれば、あなたのしあわせは川のように、あなたの正義は海の波のようになるであろうに。」(イザヤ48:18)

「幸せ」が乏しくなるのは、「私の命令」ではなく、別の命令に耳を傾けているからであると断言できます。

神との関係で「幸せ」をつかみ憎いと感じたときは、「神と遊びましょう」

「雑記帳」内 「神と遊ぶ」をご覧下さい。


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テーマ : 聖書・キリスト教
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : おきて クリスチャン 幸福 アバ 幸せ

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